発酵の多様性について
– Multiple Suns and Moons –

Written by Shoya Imai

いつ聞いたか、出典は不明なのですが、僕の心にとても印象に残っている話があります。それは、

「もしこの地球に太陽が“2つ”あるいは“それ以上”あったら、この地球上の暦や数理体系、それらを基に発展する文化や科学技術は超高次に複雑化し、いまの地球とは比較にならないほど優れた文明となるだろう」

という話です。


現在の科学技術は、1つの太陽と1つの月の周期の基で発展しました。昼夜、陰陽、春夏秋冬、農耕や狩猟の周期、生命や文化の営み、天体宇宙の理解、物質やエネルギーの循環、etc……。幾度となく繰り返される経験と観察が、未来への計画を育み、よりそれを計算できるものが繁栄を約束され、物事の道理を知り、他者との関係性を理解します。

その太陽や月が、仮に複数存在する場合、その規則性は複雑さを極め、2天体による引力では説明付かない動きを予測しなければなりません。暦は複雑化し、生態系の多様性変動性はより高次元の“日常”を生み、その高次の地球に棲む生物・知的生命体のレベルは、おそらくいまの地球には計り知れないものになるものと思われます(それは技術のみならず、思想水準もです。「善と悪」「陰と陽」のような単純な2元論では世界は成立しないことを経験から知り、より複雑な体系による物事を理解するための知の基盤が備わっているはずだからです)。

この話は示唆的で、要するに、万物が何によって構成されているのか、その「前提」が全く変わってしまえば、その先にある文化や技術は、文字通り“次元”の異なる世界となる、ということです。

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酒造りは、一般的に以下のような2段階の化学式に集約されます。

(C6H10O5)n→C6H12O6→2C2H5OH+2CO2

前半が「糖化(デンプンの分解による糖の生成)」、後半が「アルコール発酵」です。SAKEの場合これらが同時並行で起こるので、《並行複発酵》と呼ばれます。
ビールはそれぞれ独立して順番に起こるため、《単行複発酵》。ワインはそもそも糖化が必要ないので後半のみ起こる《単発酵》と呼ばれます。これらが、世界にある3つの代表的な醸造酒による発酵形式の違いです。


さて、SAKEというお酒の技術的複雑性を説明するときに、これら3つの比較から《並行複発酵》を特徴として挙げることが多いです。なかには他の醸造酒に対する「優位性」のように語られることもあります(実際、多くの教科書や入門書はこの形式への言及から始まり、基礎として必須内容であることは間違いありません)。

しかし、これは酒造りや微生物に対する理解を進めれば進めるほど、本当に正しいのだろうか?という疑問へと変わっていきました。少なくとも、醸造や発酵の真価やその正しい在り方を見誤ることになる可能性があると思うようになってきたのです。

以下、その理由を3点にまとめます。

 

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まず第一に、
乳酸菌の存在について。

千葉・木戸泉酒造(WAKAZE《ORBIA〜SOL〜》の醸造元でもある)における高温山廃酛の開発者であり、同蔵の代表銘柄《afs(アフス)》の“f”・古川董先生は、麹・酵母・乳酸菌をSAKE醸造の「三元菌」と称し、その三者による同時発酵を【並行鼎立発酵】と呼びました。
また、秋田・新政酒造では、生酛で成立するこの乳酸発酵を醪にも拡張することで【鼎発酵】の技術を実現しています。


第二に、この「三元菌」以外の菌の関与について。

先述の生酛においては、乳酸菌以外にも「硝酸還元菌」の存在が重要な役割を担います。すべての菌が同時にではなく、少しずつ重なりながらバトンを繋いでいくので、“単行”的にはなりますがすでに“複”発酵とは言えません。

SAKEの例ばかりしていますが、これは実は自然派ワインの世界にも存在します。以下の記事によれば、自然酵母における発酵では、アルコール度数の段階ごとに異なる種が発酵に関与し、バトンを繋いでいるようです(例えば、Alc.0-1, 1-5, 5-10%でそれぞれ関与する種が異なり、あるワインは、「自然酵母アピキュラ種」が活性化する1-5%のステージが終了するまでに半年近く発酵させることでその種の個性を丹念に引き出している)。


そして、第三に、菌以外のものによる発酵への寄与について。

水酛造りでは、「そやし水」の工程において“生米”の酵素が糖化作用を担い、そうしてできた糖を乳酸菌が資化します。つまり、これも一種の並行複発酵であり、そやし水では「生米中の酵素(糖化)」×「乳酸菌(乳酸発酵)」という2つの発酵が同時並行で綱引きをしており、需要と供給のバランスをとっているのです。
これは、「麹(糖化)」×「酵母(アルコール発酵)」の並行複発酵と同じ構図であり、なおかつ、そやし水が仕込後にも移行することで、“2つの並行複発酵が同時進行する(=2×2=2²発酵)”のです。これは「並行累乗発酵、並行累発酵」とも呼べるような現象です。

※もちろん、生米と麹の酵素量では、約10万倍もの差があるので、実質麹のみの発酵(混合したときの米由来酵素は誤差)といっても差し支えありません。ただ、官能や表現の世界においては「統計的に無視できることが結果に影響を与えることはある」と認識しています。なぜなら、人間の五感には閾値外を感応できる「グレーゾーン」、またはそれら含む全体感を捉える「統合的な知覚」が存在すると思っているからです(もちろん、論理的に疑似科学と区別する一線は必要ですが)。

さらには、木桶発酵や樽熟成による発酵においては、容器素材そのものが発酵の基質となったり、発酵を促進する多孔質構造を提供したりして、微生物の「食べ物」と「家」の境界が曖昧となるような領域に入ってきます。これを明示的に表現したのが、ボタニカル素材を伴う発酵《FONIA》だったりします。

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さて、結論からいえば、SAKEの発酵形態を表す狭義の「並行複醗酵」という言葉は、
アルコール大量生産の観点から見たときの化学式的な形態の違いしか表していない、と言い切ることができると思います。
また、ワインの発酵を「単発酵」といいきるのも同様で、それは亜硫酸などによる殺菌処理によって発酵現象が単純化されたにすぎないのであって、上記第二のポイントでも述べたようにブドウ果皮などに含まれる多様な微生物による「単行/並行複発酵」的現象も実際起こっているわけです。

安全醸造や国策としての大量生産化の時代、明治時代から大きく興った醸造領域における「学理応用」の機運は、当時の世界トップレベルの学識を総動員し、伝統産業を科学的見地から整理し大きく産業として発展させました。醸造領域以外では、さらなる国の基盤として「明治農法」に代表される農業分野でも起こっています(群馬の老農・船津伝次平の「率性論」による人為の可能性の拡張)。

醸造家として「安全醸造」を目指すことは、まず何よりの第一義です。僕が酒蔵で学んだ最初の言葉は「酒屋仕事の8割は掃除」であり、その本質に変わりはありません。意図しない、デザインしていない汚染による発酵を支持しているわけでは決してありません。不断の見えぬ努力によって初めて人を感動させうること、酒が芸術品たりうる洗練性と清廉性は、大前提として捉えています。

そうではなく、盲目的に排除され単純化されてきた発酵の多様性を設計に組み込んでいくべき時代に来ている、ということです。

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僕がこの文章の序段で述べた話は、ひとつの比喩になるかと思っています。

発酵の多様性は、「いくつかの太陽や月」で醸造を行うという前提に立つことで、全く別次元の文化を生むのではということです。


これまでの学理応用の発酵文化(主に明治から昭和平成にかけた100年)は、これらを単純化し、初期条件をまっさらな状態にすることで再現可能性を担保する古典物理学に形容されるようなステージを極める時代だったのかと思います。それにより曖昧模糊だった発酵現象が理解しやすい輪郭を帯びたことは紛れもない事実です。

しかし、すでにその単純化され再現されやすい技術革新は、おおよそ世界を席巻し、それによりコモディティ化したお酒たちが次の時代を求めています。クラフトジンやクラフトビールの世界では、すでにボタニカルという武器を手に入れ、新しい多様性を持った醸造/蒸留文化を確立していっています。僕はこれは伊藤穰一さんの提唱する「BI/AI」のような「BB(Before Botanical)/AB(After Botanical)」と表現してもいいようなインパクトがあるように思います。

というのも、WAKAZEの《FONIA》が完成して僕が飲んだ最初の感想は、「とんでもないものを造ってしまったかもしれない。今後のSAKEは、副原料を使うことなく、このFONIAのような表現の幅に勝っていかなくてはならない。」だったからです(腕が鳴る!的な意味なんですが笑)。

よくよく考えれば、酵母だって生き物です。上述の並行複醗酵という現象の本質は「需要と供給のバランス」であり、酵母のキャパを超える過剰供給が雑菌増殖の余地を与える、その逆は酵母の発育を妨げるなどの観点で見ると、酵母の栄養バランスってお米だけで足りるんだっけ? と思ったりするわけです。

もちろん勉強すれば、日本の誇る黄麹菌が成長に必要なビタミンやアミノ酸などを供給するので問題ないのはわかるのですが、今のSAKEの造り方は限りなく「逆糖質ダイエット」的な偏食状態にあると表現できる気がするのは自分だけでしょうか。では、酵母にボタニカルな発酵素材を与えてみたら、何が起こるのだろう?そこに異常に好奇心が湧くわけです。人間が米と麹だけで生きろ、しかも米は磨きに磨いてほとんど栄養残ってないぞと言われたら、頑張るけどそれ以外の世界も見てみたい、と思うのは気のせいでしょうか。アルコールだけが成果物じゃない、もっと他の表現もできるよ、と。「乳酸菌」という友達も取り上げられて、一緒にいたら共発酵で凄まじい力を発揮するのにな、と内心思ってるんじゃないかと想像します。


いま僕がお酒造りをしている《三軒茶屋醸造所》では、「その他の醸造酒」免許を持っており、どぶろくだけでなく、これらボタニカル素材を米・麹と共に発酵させる権利を有しています(現状の日本はそういう縛りの中でお酒を造っています)。これは、「清酒」製造免許では行使できない権利であり、発酵の無限の可能性に挑戦するWAKAZEのコンセプトのひとつの裏付けになっている免許でもあります。

この挑戦の先には、ボタニカルSAKEはもちろんのこと、またきっと米と麹のみで造られるSAKEの価値も、もっともっと評価される時代が来ることと信じています。ぜひ、お店にもいらして体感しに来てください。
Link: Whim Sake&Tapas(三軒茶屋醸造所併設)

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フラクタルに、生活圏から異なるオーダーの世界に想像力を働かせることができるのが、醸造家の持つひとつの特性、強みです。

つまり、目の前の現象の中から、米粒や液体の世界にまで想像を飛ばすこともあれば、さらに微細な生命現象の世界(麹、酵母、細胞内構造、遺伝子、原子分子など)にまで頭を働かせ、感覚により察知し、温度や水分環境などのコントロールを行うことが醸造の大きな捉え方ということです。それは微視方向だけでなく、巨視的にも本来自在であり、天体との関係すらも相対化されるのではと考えています。

そういった意味で、この文章の序段で述べたことは、マイクロ〜マクロを統括し、そのフラクタルな世界観の中で、生活圏における人間の行う発酵の多様性を問うていきたい、という姿勢です。単純化できない複雑系の中でその前提に立つことで、認知できていなかった物事の道理や暦のような法則性、そして文化が日常の中でより高次に築かれていくと信じています。