酒蔵見学レポート:剣菱酒造

Written by KJ Sakura
Translated by Saki Kimura

2020年1月初旬、大好きな酒蔵の一つである剣菱を3時間半かけて見学してきました。

神戸港のほど近く、兵庫県神戸市灘区にある剣菱酒造。一般公開はされていませんが、WSETの講師候補生や国税庁のアテンダントの人々と一緒に、素晴らしいツアーに参加することができました。ホストは、雄弁で物腰のやわらかな白樫政孝社長。自ら私たちのアンバサダーとなり、会社の理念やブランドの歴史、醸造について案内してくださいました。

白樫社長の案内で、まずは醸造所の屋上(4つある施設のうちの1つ)へ向かいましたが、剣菱のロゴが入った巨大な樽に大興奮! すかさず、メンバーみんなで写真を撮りました。続いて運河を見下ろす小さな教室に移動すると、白樫社長は自己紹介のあと、剣菱が1505年創業の最古の銘柄であること、日本で3番目に古い酒蔵として活躍していることを話してくれました(他の2軒は、創業時から銘柄を変えています)。剣菱は年間2万石(ワイン40万ケース分)を生産し、うち71石をアメリカ、イタリア、フランスに輸出。 データに基づく説明のあと、白樫社長は地域の歴史を紹介し、剣菱がどんな社訓に基づいて設立されたかを説明してくれました。

剣菱の軸となる社訓は、「止まった時計でいろ」。彼らにとって何よりも大切なのは、伝統を守り、お客さまが喜んでくれる確実な味わいを造り出すこと。遅れた時計は決して正しい時間に追いつくことはないが、止まっている時計は一日に二度正しい時間を指すという考えから来ています。

白樫社長はこの社訓について、「流行を追いかけてはいけない。流行は追うものではなくつくるもの。流行を追ってしまえば、そこからは常に遅れることになる。時計を追わず、伝統を守るのです」と話しました。流行を追わずに、流行が再び戻ってくる時を待てば、自分たちはまた流行になれる──なんてユニークかつ刺激的な喩え! 剣菱は、新たな消費者を惹きつけるためのギミックや流行にエネルギーを費やすことなく、伝統的なスタイルをベストな状態で貫くことにすべての神経を集中させているのです。

二つ目の社訓は、「お客さまからいただいた資金は、お客さまのお口にお返ししよう」。「お客様が我々のお酒を買ってくださるのは、『またおいしいお酒を造ってください」というメッセージ。その言葉にこそ最も価値があるため、我々は良質な米を入手し、手間暇かけて素晴らしいお酒を作らなければなりません」。

私はこの社訓が好きです。英訳はちょっとおぼつかないですが、製品に投資されたお金を品質と味で返そうという考えはとてもストレートで、信頼感が湧いてきます。これまで特に意識することなく、いつも気づけば剣菱を飲んでいたのは、その複雑さ、独特の味わい、そしてコストパフォーマンスのよさを体験していたゆえなのでしょう。また、お客さんが商品を購入してくれることを、「自分たちがよい仕事をしているから」というメッセージとして解釈しているのも素晴らしいことだと思います。剣菱の高品質な商品へのゆるぎないこだわりは、たった一人のマーケティングスタッフ──営業は白樫社長ひとり、という実態に現れています。この知名度および規模の会社としては、極めて珍しいことです。

最後の社訓は、「一般のお客さまが少し背伸びしたら手の届く価格までにしろ」。「我々は、お客さまにとってお求めやすい価格を維持する必要があります。利益は余計なもので、手に入れてしまえばお客様との信頼関係が崩れてしまう。価格に忠実であれば、決してお客様の信頼を裏切ることはありません」。

値段を高く設定しすぎないという、剣菱のポリシー。剣菱は、何百年にもわたって、皇室から一般の人々まで広く楽しまれてきました 。最高のお酒を作ることはもちろん大切ですが、どんなライフスタイルの人でも手に取りやすいよう、価格を抑えることも重要だというわけです。剣菱は、自分たちのお酒は特別な日だけではなく、頻繁かつ気軽に楽しんでもらえるものでありたい、と考えています。

広告や宣伝を行わない剣菱ですが、その記憶に残りやすいラベルをもってすれば、その必要もないのかもしれません。ボトルを見た人は誰でも、白黒のコントラストが効いた明確なシンボルマークにすぐ惹かれてしまいます。剣とダイヤモンドを芸術的に表現したこのマークは、男性と女性の調和を表していますが、剣については剣菱を愛飲していた武士に関係しているという説もあるのだとか。この有名なロゴマークは、江戸時代には歌川広重の「東海道五十三次(隷書版)」をはじめ、さまざまな浮世絵に描かれてきました。これらの社訓についてはSakeTips!ディレクター・Saki Kimuraによる剣菱のおすすめ動画にポイントがまとまっているので、ぜひチェックしてみてください!

剣菱は六甲山周辺で栽培された米を使用する、「テロワール」の要素を備えたお酒です。18人の米農家と契約し、そのエリアで栽培された山田錦の5分の1を使用。さらに、白樫さんの祖父が太鼓判を押したという、アメリカではまだあまり知られていない酒造好適米「愛山」も使用しています。

テロワールを構成する要素としてさらに影響力があるのは、歴史的に名高い六甲の宮水です。この水はミネラルが豊富である一方、酒造りに悪影響を及ぼす鉄分の含有量が少ないことで知られています(兵庫県では火山活動がないため、火山灰の影響を受けることがないんです)。白樫さんはさらに、宮水のもうひとつの特別な──あるいは「不思議な」──特徴について解説してくれました。六甲山に降った雨がゆっくりと下層へ移動するあいだに、河川と合流するポイントがありますが、このとき、川の淡水が酸素によって伏流水を洗い流すことで、伏流水に含まれた鉄が酸化イオンと結びついて底に沈むのだとか。つまり、酸素によって、水に含まれる鉄分が自然に濾過されるということ。ミネラル分が多く鉄分は少ないこの水は、発酵を活発にし、酵母に栄養をたくさん与えてくれます。

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剣菱のすべてについて真剣に学んだあとは、いよいよ酒蔵を見学。ラッキーなことに、私たちが訪れたのは醸造シーズンの真っ最中で、お酒づくりの魔法使いたちが出迎えてくれました。蔵人90名のうち80名は石川県や福井県の漁師たちで、醸造が始まる冬季(10月~4月)のオフシーズンだけ出稼ぎとして蔵にやって来ます。剣菱ではなんと、労働者に故郷を感じてもらうため、週に2回は日本海の魚を仕入れているのだそうです。彼らはさらに、剣菱のお酒を心ゆくまで飲むことも許されています──毎シーズン3000本の一升瓶が消費されるそうですが、これは5400リットル、つまりひとりあたり毎晩四号瓶半分ほどを消費している計算になります! 

びしょ濡れになりながら働いている男性を見ながら、水に潜ることで生計を立てている男の人々を酒蔵に雇うことは、なんて天才的なアイデアだろうと感心しました。液体を扱うこの仕事もまた重労働ながら、彼らにとっては普段の仕事の息抜きになっているのかもしれません。

ツアー中、特に興味をそそられたのは、麹の製造工程。仕込み中の麹室への入室に厳しい蔵も多いため、作業中にもかかわらず全員を中に入れてくれたことには驚きました。麹室には4000枚のお盆(麹蓋)が重ねられており、上の段ほど温度が高く、下の段ほど温度が低くなっていました。1日に4回のローテーションを行うことで、均一な温度を保ち、一粒一粒の米に麹菌が均一に生育されるようにしているのです。
また、お盆の底の厚みを、中心の方は薄く、端へ行くにしたがって厚く設計しているのも、温度を均一に保つポイント。麹の仕込みは28℃から始まり、52時間かけて50℃に到達します。部屋に暖房設備はないため、この熱は麹そのものが生み出すものであり、酒母用の麹は60℃にも到達するそうです。

剣菱では、麹菌(アスペルギルス・オリゼー)の菌糸が表面にもしっかりまわり、内側にも深く生育する「総はぜ式」の麹造り──香ばしく土気のあるSAKEに多く見られる手法──を行います。麹米を試食させてもらいましたが、これが美味! ふんわりとした食感で、ほんのりと甘みのあるブリーチーズの皮を思い出しました。

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蔵付き酵母でつくるもろみにかける日数は30日程度。剣菱は、酒母の工程で乳酸が自然に発生する山廃仕込みを貫いています。剣菱の「秘密」は、酒母仕込みの期間の長さ。蔵付き酵母と総はぜ麹でじっくり発酵させることで、風味豊かな酒母に仕上がります。粕歩合は12%と低め。つまり、もろみの88%がお酒として飲める状態であるということです。仕込みごとに熟成酒をブレンドし、剣菱の真髄となるうま味を引き出します。

巨大な精米機のある部屋に案内されたときは、酒造見学もいよいよラストだろうと思っていました。自社精米を行う蔵は珍しく、さらに剣菱は醸造所でありながら、お米の等級認定や検査の資格も保持しています。剣菱の醸造所内には、お米の浸漬や硬さ、汚れなどをチェックする検査員が10人います。聞くところによると、実際に購入したものよりも価値の低い他品種のお米が混ざってしまっていることがあるのだとか……。精米機は15年前に導入したもので、粉末状の米糠は、石油メーカーや動物用の食品メーカー、米菓メーカーにも販売しているそうです。こ

次の大きな部屋には、1000Lのもろみタンクが18台並んでいました。かつては木製のタンクを使っていましたが、1995年の阪神大震災で崩壊。再度の災害を避けるために、鉄とコンクリートでつくり直したのだそうです。ほとんどのタンクには1~3年熟成の古酒が入っており、中には39年分の古酒が入っているものもあるとか! 彼らの得意とする「変わらない剣菱」の味わいのためには、ブレンダーの仕事が重要になります。ブレンドに使用するタンクは4カ所の施設を合わせて300台以上もあるそうです。

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最後に訪れた部屋は木工所。剣菱はその味わいを貫くため、伝統的な手づくりの道具を使用しています。木でつくられた甑には、余分な水分を吸収して結露を防ぐという効果があります。ボイラー上部の木は毎年洗浄され、竹の部分は3年に1度交換。ステンレス製のほうが掃除がしやすいとはいえ、安定した温度を保つのが難しいため、木製にこだわっているのだそうです。

20~40日間にわたる酒母の工程では、昔ながらの暖気樽(だきだる)──40〜60℃のお湯が入った蓋付きの桶で温度を安定に保ちます。酒母の中に入れた暖気樽は、蔵人たちが手動で回転。三人の職人がひとりあたり年間30本の暖気樽をつくりますが、価格はひとつ1300ドル(約14万円)相当で、7~8年使えるそうです。三人の職人がつくった道具は、ほかの醸造所へも販売されています。剣菱の利益の99%はSAKEの製造が占めていますが、残りの1%はこうした木工品の販売によるものだそうです。

剣菱では、稲わらを使って注連縄も手づくりしています。神霊や幸運を呼び込むアイテムで、お祝い事や儀式に使われる酒樽に用いられます。現在は合成繊維で作られたものが主流となっていますが、剣菱は昔からの伝統を守り続けているのです。

酒蔵見学の最後を締めくくりとして、こだわりのお酒を試飲させていただきました。まずは、アメリカの展示会で試飲したことはあるものの、私が働いていたサンフランシスコの酒販店True Sakeでは取り扱いのなかった純米酒「瑞穂 黒松剣菱」。熟成期間は2~8年、原料米は山田錦で、アルコール度数は17%。精米歩合はだいたい70ですが、麹を基準に毎年少しずつ変えているのだとか。この日ほかに試飲した二種類のお酒よりも繊細で、焦がしキャラメルや味噌、カカオ豆のような濃厚な風味が感じられました。最後には、一人一人に持ち帰り用のボトルをプレゼントしていただきました!

「黒松剣菱」は熟成期間は3~5年、醸造アルコールが添加された本醸造酒です。曰く、アルコール添加の手法は17世紀にスペインやポルトガルの影響を受けて始まったそう(酒精強化ワインみたいな感じ?)。理論上、アルコールが加えられた本醸造酒は味がさっぱりとする傾向にありますが、黒松剣菱は純米酒の瑞穂よりも豊かな質感と口あたりを湛えています。私が黒松剣菱の最大の魅力だと思っているのは、まさにこの口あたり。 砂糖漬けにしたナッツや糖蜜、だしのような香りが、口内に優雅な体験をもたらします。私は長年、他の追随を許さない風味の豊かさ、あらゆる料理との相性の良さ、どんな温度でも楽しめること(おすすめは常温)をセールスポイントとして、店頭で黒松剣菱を販売してきました。
黒松剣菱には、電子レンジで簡単に温めることができる180mLの小瓶サイズもそろっています。多くの蔵は、自分のお酒が電子レンジで温められるような扱いを嫌がりそうなところですが、剣菱はこの大衆的な習慣を受け入れている。剣菱は、お客さんに気軽に楽しんでもらうための工夫を惜しまないんです。 

どれもこれも素晴らしいものばかりで、ひとつを選ぶのは難しいのですが、中でも特に惹かれたのが「瑞祥黒松剣菱」。「吉兆」を意味する「瑞祥」を口にした途端、私の心は異世界へとひとっ飛び。はるか昔の感情や記憶に火がつけられました。ワインやSAKEの専門家として、このような“エウレカ”が起こる──舌と心がつながる“発見”的な瞬間は、最大の集中力をもったときのみ──つまりごく稀にしか訪れることはありません。キャラメルや醤油のアロマに、バターポップコーンのような後味。抜群のテクスチャーが記憶の旅の案内人となり、ゆるやかな流れとともにこのお酒の素晴らしさを導いてくれます。カテゴリとしては、5~15年熟成の古酒。まだ、アメリカには輸出されていないのが惜しいところですが、もし手に入るなら、毎晩デザートやコーヒーの代わりに楽しみたいものです。

刹那的で、持続的で、メッセージにあふれたお酒を造る剣菱は、伝統への深いこだわりと現代的な感性をバランスよく兼ね備えています。伝統ある酒芸の守り手として、あらゆる道具の自社生産に取り組むのも超クール ! いまの造り手が500年前の先人たちと変わらぬスタイルでお酒を醸しているように、500年後も剣菱が「止まった時計」でいることは間違いありません──その未来を、どうか想像してみてください!