日本酒は誰のもの?

Written by Saki Kimura

先日、サンフランシスコで開催されたとある日本酒のプロモーションイベントのお手伝いをしてきた。
会場には、日本からこの日のために渡米した酒造や、アメリカ国内に拠点を持つメーカーが、ブースを構えていた。

そんな中で、こんな会話を耳にした。

「最近は、アメリカでも日本酒の酒造が増えてきているみたいですね」
「ええ。でも、彼らは『日本酒』を名乗れませんから

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いまから3年前のクリスマス。
国税庁は、日本酒に対して「地理的表示」を指定した。

チリテキヒョウジ? なんのこっちゃ、と思うかもしれないが、要するに、
「国内産のお米だけを使い、日本国内で製造された清酒だけが、独占的に『日本酒』と名乗ることができる」
というルールのことである。

ボルドーワインとか、ゴルゴンゾーラチーズとか、夕張メロンとか、「地理的表示」によって特異性をキープしようという例は、過去にもたくさんある。

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少し、モヤッとする。
しかし、モヤッとしたときには、目の前のことをあーだこーだと話すよりも、大きなゴールの話をしたほうがよい。

わたしの夢は、たくさんの人が日本酒を愛する世界をつくることだ。
メディア人という立場から、日本酒の活動をしているのは、日本酒を愛する人を増やすために、誤解を解き、ハードルを下げ、ワクワクする物語や情報を伝えるためだ。

だからこそ、「飲み手」の視点を重視するし、既に日本酒のことが大好きで、知識がたくさんある人よりも、日本酒をなんとなく苦手に感じている人とか、ほんのちょっと興味があるけど一歩踏み出せない人により構ってしまう。

それを象徴するかのような場所が、現在のアメリカだ。
わたしは、いままさに黎明期であるアメリカの日本酒市場に強い興味がある。
それが抱えている、問題点も含めて。

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『Bottle Shock』という2008年の映画をご存知だろうか。
日本では、『ボトル・ドリーム カリフォルニアワインの奇跡』という邦題で公開された。

かつて、アメリカ産のワインはご本家であるフランスの人々からバカにされていた。
ところが、1976年のフランスのワイン品評会・Paris Tastingにて、ブラインド・テイスティング(銘柄を見ずに味だけで評価するテイスティング)の結果、フランス産ワインを押さえて、カリフォルニア・ワインが一位を獲得した。
フランス人が、それをアメリカ産だと気づかないまま、高く評価してしまったのだ。

映画『Bottle Shock』は、この物語を題材にしている。
石川雅之『もやしもん』を読んだことのある人なら、覚えがあるエピソードかもしれない。

ウイスキーもそうである。
わたしはスコッチ・ウイスキーが好きだし、歴史的に見て「アメリカのウイスキーなんて飲めたもんじゃない」という評価があったからこそ、ロックとかコーク割りみたいな飲み方が誕生した、といったエピソードを取材で聞いたことがある。

しかし、最近のアメリカン・ウイスキーはおもしろい。
法律が変わったことでマイクロディスティラリーが多く誕生し、舌の肥えた人々が集まるニューヨークなどの都会で、スコッチ好きも唸るというハイ・クオリティなウイスキーが生み出されるといった例もある。

アメリカは、お酒に関して、深いポテンシャルを湛えた国だ。
その中で今、日本酒──そう呼ぶことを許されないのなら、「SAKE」に興味を持ち、造りはじめる人々が増えている。

サンフランシスコのマイクロブルワリーである「Sequoia Sake」のNoriko Kameiさんの話によれば、アメリカ国内のSAKEブルワリーの数は去年でぐっと増え、全国に30件程度あるという(データをまとめている機関がないので、あくまで概算らしいが)。

わたしは、SAKEが生き延び、これからも愛されてゆくためには、もっとたくさんの人にSAKEを飲む機会を提供し、好きになるきっかけをつくることが大切だと信じている。

輸出量が増えたところで、アメリカでSAKEが流行っている、という結論を出すのは性急だ。
中国系・韓国系の日本料理店で出される、アッツアツでもれなく二日酔いを連れてくる黄色いお酒をSAKEの真の味だと思っている現地の人々は少なくないし、吟醸酒などの品質を保つために、取り扱いのルールを細かく決めている日本企業の売れ行きは芳しくないといった話も聞く。

そんな中で、アメリカという場所で新鮮なSAKEを造るアメリカのSAKEブルワーたちは、「SAKEのおいしさ」を伝える大切なメッセンジャーになる。
たとえば、先述したサンフランシスコのSAKEブルワリー・Sequoia Sakeの看板商品は生酒だ。
そもそもこのブルワリーは、Norikoさんと旦那さまのJake Myrickが、輸入の難しい生酒をどうしてもアメリカで飲みたい、と造りはじめたところからスタートした。
わたしも取材のために伺ったブルワリーで、初めて生酒を飲ませていただいたときは、いたく感動した。
「ああ、久しぶりの生酒だ」と、心が日本に戻されるような心地がした。

SAKEのラインナップが限られたアメリカで、この味が飲める。
アメリカの人々に、「こんな味のSAKEがあるんだ」と体験してもらえる機会がこの地にあることを、本当にうれしく感じた。

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わたしは現在、ロサンゼルスからサンフランシスコに拠点を移し、このSequoia Sakeを営むJake & Norikoさんご夫妻のお家に下宿させていただいている。

日本でSAKEについての活動をしていたころ、わたしは酒造の方々よりも、主に飲食店や酒販店を営む人々とのコミュニケーションを重視していた。
理由としては、「飲み手」により近い位置で、お酒を広める活動をしている人たちを応援する存在になりたかったからだ。

いろいろな意見があるとは思う。
しかし、日本国内での日本酒メディアが、「飲み手」よりも「造り手(売り手)」に寄ったものが多いことに疑問を感じ、意図的にそうしていた。

この素晴らしいお酒を生み出す造り手へのリスペクトは、ある。当然だ。
けれども、「飲み手」がいなければ、この魅惑的で、たくさんの物語を湛えた文化は、いつか潰えてしまう。

そうやって活動する一方で、「造り手」とコミュニケーションをする機会が少ないことについて、本当にこれでよいんだろうか、と、コンプレックスを感じることもあった。
そんな自分が、いま、アメリカの「造り手」たちのそばにいる。

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日本酒は、SAKEは、誰のものだろうか。
わたしは、みんなのものだと思っている。

みんなというのは、日本人も、アメリカ人も、それ以外の国の人々も、造り手も、売り手も、飲み手も含めた、みんなのことだ。

たとえそれを「日本酒」と呼ぶことが許されなくても、わたしはアメリカのSAKEに惹かれているし、追いかけていきたい。

お酒とは、身体で飲むものだ。それは、「言葉」を超えてゆく。
止めようと思って止められるものでもないのだ。