酒飲みの世界とシラフの世界,
または一日の終わりのささやかな創造行為としての飲酒

Written by Akira Kudo

事実確認

 私たちはすぐに忘れてしまう生き物なので,念のため確認しておく。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて発令されてきた日本政府による緊急事態宣言は,現在までで4回を数える。その中で飲食店に対しては,1回目で休業の要請,2回目で営業時間短縮の要請,3回目では営業時間短縮要請に加え,酒類の提供停止の要請がなされた。
 現在発令中の4回目では,3回目の要請を踏襲した内容に加え,酒類の提供をやめない飲食店に対して,取引のある銀行から働きかけるよう政府からの要請があったと報じられたが,一年以上の苦境に喘ぐ飲食店を追い詰めるような方針に批判が集まり,結果として撤回された。また今回は酒類販売事業者に対しても,酒類提供を続ける飲食店と取引を行わないよう要請がなされたが,これも批判を受けて撤回された。このように,これまでのところ日本政府による新型コロナウイルスの感染拡大対策では,飲食店,とりわけ酒に対する厳しい規制が目につく。

 本稿では,飲酒が社会のなかで担う役割について改めて考えることで,なぜ酒が過剰な規制の対象とされるのか,規制されることに弊害がないか,といったことを考える。
 ただし,一つ断っておかなければならない。私は酒が好きではない。飲めないほどではないが,酔いやすいので飲む量などを気にしてしまい,心からは楽しめない。飲み会ではどちらかというと,一緒に飲んでいた仲間が心ゆくまで飲んだ結果として起こった失敗(くだを巻く,酔い潰れる,救急車で運ばれる,仲違いをする,泣き始めるなど)に少なからず立ち合い,なぜこうしたことが起こるのか,不思議に思ってきた。今も不思議に思う。なぜこんなことになるまで酒を飲むのだろうか。そうまでさせる酒の力とは。私は酒を好まないが,だいたいこのような理由で,酒飲みが酒を好んで飲む理由については理解したいと思ってきた。
 今回,緊急事態宣言に伴い酒類の提供停止の要請が出たことは,率直に言えば,私の生活に直接的な影響はないかもしれない。酒を日常的に飲まないから。しかし,酒類が感染拡大とどう関係しているのかを示す研究もなければ,ましてや法的根拠もないのにもかかわらず,このような要請が出ることには,考えさせられる。なぜならこの要請の遠い背景には,酒が社会にとってどのようなものだと捉えられているかが透けて見えるように思うからだ。この文章はそのような立場から書かれる。

酒と狂気と正気

 小説家・ミュージシャンの町田康は自身の断酒の体験から,興味深い考察を引き出している(※1)。町田は,酒飲みが酒を飲みたくなる背景には,自分は楽しむ権利を奪われているので取り戻す,という不満感や不公平感があるとし,「飲みたい,という正気と飲まないという狂気の血みどろの闘いこそが禁酒・断酒なのである」と言う。
 普通,人生は楽しくない(確かに)。だから,楽しみを求めて酒を飲む。町田はこの感覚を酒飲みにとっての正気とする。当然だろう,私たちの世界は理想郷とはほど遠く,「飲まなきゃやってらんねえよ」,という日が年に数百日はあるからだ。
 しかし町田は同じ本で,自身の酒浸りの日々を振り返ってこうも言う。「酒の楽しみは人生の資産ではなく,(中略)負債そのもの」である,と。なぜなら旅行などの娯楽が思い出に残るのに対して,酒の酔いは覚めたら消え,二日酔いと想定外の出費,人間関係への悪影響などが残るばかりだからだ。つまり,酒が入っていない頭で考えると,飲酒はこのような悪い結果をもたらすものであり,それを進んで求める酒飲みの正気は狂気に見えるかもしれない。
 つまり,酒飲みとシラフの間で,飲酒が持つ意味は真逆である。上戸にとっての酒と,下戸にとっての酒は,まったく別の飲み物だと考えた方がよい。言い換えれば,飲酒という行為のもつ意味をめぐって,上戸と下戸は,酒飲みの世界とシラフの世界とに分断されている。行政はシラフの世界の価値観によって運営されているので,飲酒は基本的には狂気とされ,規制すべきものだという発想になるのも当然だと思える。では,シラフの世界からみた飲酒の狂気とは何か。

 EXITの兼近大樹は飲酒についてのインタビュー(※2)「(引用者注・酒でなく)ジュース飲んでたほうが『自分が変わらなくて済むな』って気付いたんですよ。僕は,『お酒飲んでるときの自分はウソの自分』だと思ってるんで」と言う。兼近は,だから酒を飲まずに真面目にやるべきだ,という彼の主張の一部としてこのような話をしているのだが,ここで重要なのは,飲酒によって「ウソの自分」が現れる,という彼の認識である。
 では兼近は,「ウソの自分」の何が問題だと考えているのだろうか。インタビュアーの,酒を交えることで人間的な部分を見せられるのでは,という問いに対し,兼近はこう返す。「もしお酒を飲んだときだけが“本音”なら,普段はめちゃめちゃ嘘ついてるってことじゃないですか?」と。ここで,兼近はシラフの世界から発言している。シラフの世界から見れば,シラフの世界での人格が本音であり,酒飲みの世界に足を踏み入れた時に現れる人格は「ウソの自分」である,その逆ではない,と兼近は言う。確かに,酒の場で「ウソの自分」があたかも本人であるかのように振る舞い,酒の場で話したことを翌日にはすっかり覚えていない様子は,シラフの世界からは狂気の沙汰と見えてもおかしくない。しかし,酒を飲むことで現れる別人格を「ウソ」と判断するのは,シラフの世界の価値観である。酒飲みの世界の住人には違う風景が見えている。酒飲みの世界から見ると,酒を飲んで現れる「ウソの自分」は,酒の力で作り出されたいい感じの別キャラ,と捉えられる。
 酒飲みにとっての酒と,下戸にとっての酒は,まったく別の飲み物だと,繰り返しておこう。その上で少し盛って言うならば,下戸にとっての酒は,平穏な世界に混沌と現実逃避をもたらす逸脱的な飲み物である。一方で,酒飲みにとっての酒は,退屈な世界に楽しみをもたらす創造的な飲み物である,はずだ。

酒と創造性

 とはいえ,酒飲みにとっての酒が創造的な飲み物であるなどと口にして回るのは,シラフの頭で考えると,難しいことに思える。ある創造的な行為について「酒のおかげです」と言うことは,犯罪者が自分の罪について「酒のせいです」と言うのと同じで,真面目に聞き入れられる言動とは思えない。また飲酒の危険な側面を軽視して,創造性にだけ照明を当てよという主張は,ポリティカル・コレクトネスが幅を利かせる現代においては投稿直後に焚き上げられ,灰となるだろう。私が言いたいのは,酒飲みの世界に関心があるシラフの世界の人間らしく,ごく穏当に,酒のもたらす種々の効用のなかには逸脱的なものもあれば,創造的なものもあり,そのうち創造的な側面についてはこれまであまり明らかにされていないのではないか,というまあまあバランスのよい提案である。

 これまでは,飲酒の逸脱的な側面を強調する文化,すなわち飲酒の<逸脱モデル>の影響力が強く,飲酒の創造的な面について語る声を聞こえづらくしてきた面もあったかもしれない。そういう意味では,若者が酒を飲まなくなったと言われて久しく(※3),飲み会での酒の強要なども禁じられ,酒を介したコミュニケーションの形態も変化しつつある現代は,創造的な飲酒文化,飲酒の<創造モデル>の台頭にうってつけである。
 @SHIBUYAMELTD0WN(※4)のポストが淡々と示すように,飲酒の逸脱モデルを面白く思える感性は,もはや古きよき日本の飲み会文化のゾンビのようなものになりつつある。こうしたことを踏まえると,あらゆる局面でリスクを回避することが新しい道徳となったこの時代において,アルコールが依然として,脳のリミッターを外し,合理的な判断を難しくさせるリスク因子であるとばかり思われていることは,それこそが酒飲みの世界にとって大きなリスクとなりうる。緊急事態宣言における酒や飲酒への厳しい処遇は,その一つの表れであるとも考えられるのではないだろうか。

 最後に,飲酒の創造モデルの輪郭を浮かび上がらせるような手がかりを探りたい。すぐに思い浮かぶのは,吉本浩二の漫画「定額制夫のこづかい万歳」で取り上げられた「ステーション・バー」(コンビニで買った酒とつまみを駅の片隅でひっそりと味わう行為)のように(※5),酒を飲むことによって自分がいる環境の解釈を変えることである。
 コンビニで酒を買って,飲みながら深夜の街をぶらぶらと歩くアーバンチル(※6)も,なぜか毎回,夜が明けてくるにつれてそこそこ深い洞察と感動へと導かれる,創造的な行為であると言えるのかもしれないと思う。
 また,アメリカのSakeインフルエンサーであるSAKE BOSSは彼のYoutube動画のなかで(※7),森喜酒造場の純米酒「妙の華」をベーコン・ブルーチーズ・バーガーとペアリングし,「この酒はCardi B(※8)だ」と紹介する。この語りのスタイル自体はオリジナルとまでは言えないかもしれないが(※9),酒の味わい方の新しい可能性を見せてくれる。酒を何と一緒に飲むか,新しい味の組み合わせを発明し,その味をどのように表現するかということを,グルメ自慢を超えて,自分や他人を楽しませる娯楽として成立させることもできるだろう。

 こういったあれこれの空想が,今現在の飲食業界や酒造業,酒販売業の苦境を前に無力であることは自覚している。ただ,新型コロナウイルスの感染拡大がどのように収束するかはまだ分からないし,このような「緊急事態」は今回が最後とは限らない。だからこそ,飲酒を逸脱モデルから創造モデルへと転換する試みを,今晩の一杯からでも,少しずつ始めてみることを提案したい。私たちがこの必ずしも楽しくはない世界で,なんということもないであろう明日を少しばかりは創造的に生きるために。

※1 町田康『しらふで生きる』(幻冬舎,2019)
※2 「『酔ってる自分が“素”なわけがない』チャラ芸人・EXIT兼近の“酒を飲まない哲学”」(最終アクセス2021年7月16日)
※3 ニッセイ基礎研究所「さらに進んだ若者のアルコール離れ」(最終アクセス2021年7月16日)
※4 Twitterアカウント @SHIBUYAMELTDOWN(最終アクセス2021年7月16日)
※5 吉本浩二『定額制夫のこづかい万歳 月額2万千円の金欠ライフ(1)』(講談社,2020)
※6 アーバンチルはミュージシャン夏目知幸の造語。「【第1回】シャムキャッツ夏目のアーバンチル部『夏目が語るアーバンチル#1』」(最終アクセス2021年7月16日)
※7 「I tried the Cardi B of sake. (Sake Review)」(最終アクセス2021年7月16日)
※8 Cardi Bはアメリカのミュージシャン。芸名はバカルディに由来するらしい。
※9 個人的にはAnthony Bourdainや,ジャンルが違うがJeremy Clarksonの語り口を連想する

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